2023年7月の報告

日 時:7月5日(水) 午後8時より

講師:在英国日本国大使館参事官兼領事 園部 健治様

演題:領事の仕事あれこれ

会場: Zoom スクリーン上

参加人数:30名

領事の仕事あれこれ (在勤地での主な取り組み)

●ネパール 査証発給、邦人援護 (登山・トレッキング等死亡事故、精神障害)、 緊急事態対応(民主化騒動

●英国(I):在外選挙、旅券発給(紛失・盗難)、海外教育、邦人援護 (精神障害、領事面会等)

●バングラデシュ 査証発給、邦人援護 (困窮邦人)、 安全対策

●オランダ領事出張サービス、海外教育、邦人援護 (アイスランド火山噴火による空港閉鎖 (旅行者空港内

留め置き)、 緊急事態対応 (トルコ航空機墜落事故)、 感染症対策 (豚インフルエンザ)

●フィリピン海外教育、 安全対策、 日本人戦没者慰霊

南アフリカ領事出張サービス、 安全対策、 邦人援護 (第三国からの緊急移送)

●英国(II):

感染症対策(新型コロナウイルス(含 我が国の水際措置緩和に伴う査証発給))、

領事手続きの電子化 (旅券、 証明、査証のオンライン申請・領事手数料のオンライン納付)

【参考】 応援出張 緊急事態対応 (現地緊急対策本部対応・家族対応)

* ネパール:タイ航空機墜落事故(外務本省勤務時)

*スリランカ スマトラ沖大地震 インド洋津波被害 (外務本省勤務時 *ニュージーランド:クライストチャーチ地震 (在フィリピン大在勤時)

(※この文章は個人の感想であり、事実を正確に伝えることが目的のものでは ありません。聞き間違いなどにより、正確性に欠ける、または誤解がある可能性 があります。) 昨年秋に続いて、在英国日本国大使館から園部参事官兼領事 にお話いただきました。これまでの仕事の経験について聞くこ とができるということから、楽しみにしていました。 「領事とは」というところから話が始まりました。 そもそも、一説 によれば中世後半ヨーロッパのギルドが起源 で、 組合同士の 紛争の仲裁が起源と言われているそうです。 なるほど、外交や 大使館と聞くと、何となくヨーロッパのイメージがあったので、 納得しながら聞き入りました。 領事業務の法的な根拠の一つ は、1963年のウイーン条約に遡ります。 (意外と最近ですね。) 旅 券(パスポート)・査証(ビザ)の発給、自国民の援助などが決め られているそうです。 園部領事は、34年前にガーナで外務省の採用となり、 その3ヶ月後にネパールへの赴任から、現在に続く領事の仕事が始まった そうです。パスポート・ビザの発給、 婚姻届の受領など、 古典的 な領事業務と呼ばれる仕事を担当され、その後の全ての大使 館で同様の業務に携わってこられたそうです。 最初のネパール では、日本国内で外国人の不法就労・不法滞在が社会問題とな っていた時期でもあり、おかしいと思ったら、日本行きのビザの 発給を拒否することもあり、身の危険を感じることがあったそう です。ネパールにはインドから流れてくるヒッピーのような人 がいて、その中に、薬物で保護される日本人もあり、日本では留その後、バングラデシュへ転勤とな り、そこでは仕事の8割はビザの発 給審査でした。日韓ワールドカップ が行われた当時の観戦目的のビザ 申請では、どのチームの試合か申請者に質問しても答えられ ないということや、偽造・変造の書類が多いといったことがあ ったそうです。 また、調理のコックの申請であれば、 実際にレス トランで働いているのかを確認に行ったこともあったそうで す。探偵顔負けというか、そういうこともするのだと、興味深く 話を聞きました。 書類だけを見て、OKという訳にはいかない のですね。。 その後、東京での勤務を経て、次はオランダです。 その後の南ア フリカと同様に、オランダでは大使館の所在地と邦人が多く居 住している場所とが異なるため、オランダでは毎月一度、南アフ リカでは毎週、出張を行って領事業務を提供していたそうです。 オランダの次の赴任地のフィリピンでは、治安の観点から、ショ ッピング・モールなどを除いて、街中を歩く機会は多くなかった そうです。困窮邦人の問題では、個人への経済的な支援を大使 館としてすることはできず、日本の家族からも協力を得られな い人がいるなど、対応が難しい場合があったそうです。フィリピ ンで特徴的だったのは、太平洋戦争があったことから、8月15日 には日本人戦没者慰霊祭に総領事も参加するという話を聞き、 現在を生きる邦人のみならず、祖国を離れたままのご先祖を供 養する業務には、改めて頭が下がる思いでした。フィリピンの次には、南アフリカでの勤務となりました。 南アフリカは、医療が 進んでいるということで、他のアフリカの国から、医療のための 緊急移送ということがあったそうです。また、赴任した国の中で は南アフリカが一番治安が悪く、警官が車を止めて賄賂を要求 するということもあったそうです。そして、現在は2度目の英国赴 任をされています。 園部領事曰く、「領事業務はどの大使館でも、同じような業務を 提供している、これは仕事なのでやって当たり前です。しかし、 大使館の中でも、経済や政治に関連する業務を行なっている方 とは、明らかに異なる仕事を行なっていて、 また、それを幸せに 感じています。」 ということでした。それを聞いて、現場を歩いて きた人の言葉だということを感じました。質疑応答の中では、内 向きになっている日本への心配、電子化の状況・マイナンバー カードについて、 杉原千畝さんとビザ発給業務について、 在外 邦人が死亡した場合の大使館の対応について、 日本の政府要 人が海外への渡航する際のパスポート・ビザについてなど、活 発な質問がありました。 邦人のサポートをしてもらえる大使館 に感謝すると同時に、日本の存在を海外に発信する支えとなる ような、そんな期待を大使館にできるのではないかと感じる講 演でした。頑張れニッポン! (伊東ノリ)

10月二水会部のお知らせ

日時:10月11日 (水) 午後8時より

演題:日本における英国ビジネスの成功 ウィルキンソン 炭酸ミネラルウォーター(日本語での講演)

講師:ジェイスン・ジェイムズ大和日英基金事務局長

参加費:英国日本人会

会員:無料、非会員:3ポンド

会場:Zoom

<講演内容>

ウイルキンソン創業者のジョン・クリフォード・ウィルキンソン氏 (1852-1923)は1872年、 20歳で英国北部の都市リーズを後に して、神戸の貿易会社ハンター商会で働き始めました。 1889年 に宝塚で狩猟をしていた彼は、地中から天然炭酸のミネラルウ ォーターが湧き出している場所を偶然発見し、これがウィルキン ソン・炭酸・ミネラルウォーターの始まりとなりました。 その後、 様々なグループ企業が設立され、やがては日本最大級の飲料会 社に成長しました。ジェイムズ氏は詳細を知るために現代の宝 塚を訪れ、 ウィルキンソン氏が最初に見つけた場所で今も水が 湧き出ているのを見て感動したものの、残念なことに、それ以外 に目に見えるものはあまり残っていなかったとのことです。今回 の講演では、ジェイムズ氏には、日本におけるウィルキンソン家 のビジネスの魅力的な物語を日本語で語っていただきます。

<プロファイル>

2011年10月に大和日英基金の事務局長に就任。 13才の時に 聖歌隊のツアーで来日し日本に魅了された。 ケンブリッジ大学 キングス・カレッジでは日本学を専攻、1987年に栄誉ファース ト・クラスで卒業。 その後、 金融業界に長年勤務。 日本株を専門 とし、 HSBC 証券会社東京支店の調査部部長、 HSBCロンドンの グローバル・エクイティ・ストラテジー部長等を歴任。2007年 ~2011年、ブリティッシュ・カウンシル駐日代表。同時に欧州連 合文化機関日本代表、 日英協会理事(及びアワード・コミッティ 一の委員長)、 ユナイテッド・ワールド・カレッジ日本協会役員を 務める。 ジェイムズ氏の日本に関する興味は、経済、金融市場、税制 度、文学・芸術、日英関係等、多岐に渡る。 著書もThe Political Economy of Japanese Financial Markets (## Macmillan, 1999年) やEdmund Blunden and Japan (Asiatic Society, 2010 年)等、多分野に及ぶ。 日英関係への貢献が認められ、今年OBEを授与された。

<参加申し込み>

下記のリンク先よりお申し込みください。(100名まで) https://forms.gle/svbbNjpsH5EaaUuu6 質問等は仮幹事のWhitehouse佐藤敦子 (Whitehouse@japanassociation.org.uk) までご一報ください。

●11月二水会部について

11月の二水会は、 11月8日にナルク部と共催で、 骨粗しょう 症を含む高齢期に気をつけるべき健康についてのセミナーを ロンドンの NHS Islington 高齢者精神科のクリニックで診療を されている田頭弘子医師にお話をしていただきます。 詳細は 一斉メールで別途お送りします。