福祉コラム

2017年7月はじめに九州北部を襲った記録的豪雨は、同地域に甚大な被害をもたらし、深い爪痕を残した。被災者の苦しみ悲しみは察するに余りある。被災地の復旧には、どれほどの財源と人力が要るのだろう。
ノンフィクション作家の柳田邦男氏は、災害、事故、病気その他の悲劇の当事者への対応には「二・五人称」の視点が必要と提唱している。「もし自分が災害や事故にあっていたら」と考えるのは一人称の視点。「もし自分の家族や大切な人が事故にあっていたら」と考えるのは二人称の視点。専門的な知識に基づいて冷静な判断で対応するのが三人称の視点。一人称や二人称の視点だけだと情に流されがち。逆に、三人称の視点だけだと、冷たく突き放した「他人事」の対応が優先する。一人称、二人称の視点と、専門家の冷静沈着な判断を兼ね備えているのが「二・五人称」で、被災者への対応としては妥当で望ましい。氏は「音楽に魂を揺さぶられるような理解の仕方」とか「人間の心に潜む慈悲心や共感と通じる想像力」と表現している。
「二・五人称」の視点は、医療や介護の現場にも適用できる。「病気を診るのでなく病人を見よ」と言われて久しいが、科学技術のめざましい進歩と共に、医療従事者の専門分化が広がった結果、専門知識と技術は極度に高度化し、彼らの視野は狭まりがち。現場では患者や被介護者との時間短縮で効率化をはかろうと、「はい、次の患者さん」とそっけない対応になりがちである。ここにIT技術が加わって、専門化社会共通の問題がさらに強まる。
「一人称」と「二人称」は温かみはあるが、客観性や合理性に欠ける。一方、「三人称」の視点で十分慎重に判断したように見えても、患者や被介護者の側からすれば、様々な見落しや切り捨てが生じている。専門レベルを高める努力を前提にしつつ、弱者である患者や被介護者の立場に立ち、人間に対する興味や人間を見る眼を持った「二・五人称の視点」によるきめ細かな対応が求められる。
障害児が生まれたとき、冷静客観的な「三人称」の視点の医師から「染色体異常のためダウン症児です」と宣告されるだけでは母親は絶望から立ち直れないだろう。これは実話だが、米国でダウン症児を出産した母親が「あなたは、障害児を立派に育てる資格と力があることをご存じの神様から選ばれたのです。思う存分愛情を注いで育ててください。」と祝福されたという。これこそが、人間性を回復させる「二・五人称」の視点であり、今後ますます重要性を増すだろう。(T)