福祉コラム

故園田会員追悼礼拝に寄せて

ご子息による追悼文

1932年東京生まれの父、故園田邦夫は、クリスチャンだった祖母の影響で、10代から教会の英語クラスで勉強を始めました。母とはバプティスト教会の聖書クラスで会いました。Wheaton大学(シカゴ市)で哲学と神学を学ぶために21歳で渡米。1年後に渡米した母と結婚しました。1960年にバプティスト教会の牧師になります。 その後、エジンバラ大学で更なる勉学を目指してスコットランドに移住。次いでロンドン南部に居を構えました。同時通訳という新種の職業幕開けと共にこれに参加、遂には世界でも屈指の通訳者に上り詰めました。

今日の追悼礼拝にご参加の皆様は、父が日々続けた説教、病気見舞い、パイプの水漏れからPCの修理に至る、幅広い奉仕活動を通じて、教会で、仕事の場で、英国日本人会の集いで、ご縁を頂いた方々でしょう。家族にとって故人は、慈愛溢れる父であり、献身的に生涯を捧げた夫でありました。

僕たちからみた父は、頭脳明晰、勇猛果敢、忍耐力、想像力などの資質を併せ持つ、人生のモデルでした。どのような難問も粘り強く解決の糸口を探りました。父を必要とする誰にでも惜しみなく救いの手を差し伸べました。

戦前教育を受けた父は大変な倹約家で、一粒のご飯も残さず平らげました。再利用できる可能性を考え、何でも取っておく始末屋でもありました。好きな庭仕事は日が暮れても手を休めず、懐中電灯の薄明かりで作業を続けました。

兄弟にとって思い出深いエピソード

• モスクワの街角で、空手の達人のふりをしてスリを撃退した父。

• 寝たきりになった母を献身的に介護し続け、夜中に何度も起こされて、疲れ果てているにもかかわらず、母のおでこに笑顔で「おやすみ」のキスをする父。

デービッドにとっての楽しい思い出:

• 孫の幼稚園の「祖父母デー」に参加。散会後に園児たちの送迎バスに乗りこんで、彼らとの時間を楽しんだ父。

• 米国人の妻が初めて父母を訪問した際、「今日のご馳走はお寿司です」とプラスチック製の寿司を出してニヤニヤしていた父。

ケンが鮮明に記憶している出来事

• 物置でこっそり科学実験していたら、どう間違ったのか、もうもうと煙が出はじめた。それを叱るどころか「好奇心が満たされたのだし、死なずに済んでよかったね。」と満足げだった父。実は、何度か死にそうな経験をしたのですが。

• お古のPCをプレゼントした数年後には、僕より沢山の中古PCに囲まれていた。それらを修理し、PCの苦手な人たちに使い方を教え、ご家族とメール交信できるようにしてあげた父。

僕たちは、ほんの数か月間しか皆様を存じあげませんが、その間の亡父に対する温かい思いやりと見守りに対し、言葉では言い尽くせないほどの感謝で一杯です。皆さんに深く愛され、惜しまれて天国に旅

立った父はとても幸運な人です。本当に有難うございました。