福祉部

福祉部だより

2017 年12 月半ば、イギリス全土を今年最大の寒波が襲い、10 日日曜日はロンドンも降り積もる雪で道路や公共交通機関、空の便が大混乱に陥りました。翌11 日はこの寒波の影響で各地の学校が臨時休校となり、分厚い灰色の雲の下、一日中みぞれ混じりの氷雨が降り続いた月曜日でした。そして12 日火曜日。朝の8 時でマイナス4 度というこの冬一番の冷え込みでしたが、数日振りに太陽が顔を出し冬晴れの青空が広がった日の正午、英国日本人会福祉部とナルクの合同忘年会を、メイフェアの一角にあるFarm Street Church の1階会議室で開催しました。 多忙なスケジュールを縫って参加された佐野会長のご挨拶と竹中部長の総括で、福祉部ナルク合同忘年会が和やかに始まりました。 お味噌汁付の美味しい幕の内弁当を堪能した後、果物やビスケット、チョコレートなどに加え、有志の方からのどら焼き等のありがたい差し入れをお茶の友にして懇談。お互いの近況や活動報告、来年の活動についても前向きで活発な意見交換があり、1 年の締め括りに相応しい2 時間半の忘年会でした。 快晴とはいえ、この凍てつく寒さの中、参加申込みされた21 名全員が元気に集えたのを、福祉部ナルク役員一同大変嬉しく思っています。今回残念ながら都合が悪くて不参加だった方々も、またの機会に福祉部及びナルクの活動でお会いできることを楽しみにしております。(ヴァンダースケイフ記)

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ゆずりあいのマナー 里帰り中に電車に乗るたびに疑問というか違和感を覚えていた。高齢者、妊婦、障碍者などの弱者向けの優先席が本来の目的を失っているように感じていたのだ。ロンドンでは、白髪頭の筆者が地下鉄などで席を譲られないことの方が少ないのに、日本では優先席付近でも譲られることはまずない。 運悪くラッシュアワーにぶつかった時など、スマホ片手の若者や寝たふりの学生に優先席が占領されている。ある日のこと、ほどほどに混んだ電車で、若い女性が優先席に座っていた。あきらかに後期高齢者とわかる女性が乗ってきたが、例によってスマホから目を離さない。すると、粋に帽子をかぶった外国帰りと思しき紳士が「お嬢さん、ここは優先席ですよ。」と声をかけた。彼女はむっとした表情で立ち上がり姿を消した。 友人たちにこの話題を持ち掛けたところ、「席を譲られるほど哀れな老人に思われることのほうがショックよね。」が多数派で、海外移住者の浦島太郎ぶりに逆に驚かれた。日本では、アンチエイジング志向が定着していることを実感すると同時に、若者のマナーの悪さに慣れ切ってしまった超高齢化社会の側面を垣間見る思いだった。 京都教育大チームが「優先席のあり方と日本人のマナー」という興味深い研究を実施している。マナーやモラルの低下により、優先席本来の目的が果たせていない実情に迫り、オリンピックを控えた今こそ、優先席を介して思いやりのある「おもてなし精神」を見直す必要がある、というのが研究テーマである。 対象の鉄道数社の中で、横浜市営地下鉄の優先席に対する取り組み調査に特に関心を持った。横浜市は、優先席に真剣に取組んでいるため、車内マナーが向上していることがデータに表れている。優先席を「ゆずりあいシート」と呼び、「お年寄り」「体の不自由な方」「内部障がいのある方」「妊娠されている方」「乳幼児をお連れの方」を対象とするステッカーが駅の目に入りやすいところに貼られ、乗車前から人々にゆずりあいの意識を持たせる工夫がなされている。市の提供するサービスが浸透している結果、真に席を必要とする乗客が利用しやすくなっている。 国際都市、横浜の地域性も一役買っているようだが、利用する側へのマナー啓発に力を注ぐ努力は注目に値する。マナー向上の一環として、小学生向けのマナー スター・コンクールで作品を募集している。「やさしい気もちでゆずりあい」「みんなでたすけあおうね」「席をゆずられたらすわってあげてね!」などのゆずりあい意識を高める子供自身の言葉が人々の心に響く。公共交通を高頻度で利用する高校生たち自らがマナー啓発を行うことで、マナー意識を高める活動にも協賛している。こうした学校との連携が、児童のころからマナー意識を向上させる効果を上げているというのだ。たかが教育されど教育である。横浜からオリンピックに向けたゆずりあい、助け合い精神が溢れた「おもてなし」が始まっているのである。日本も捨てたもんじゃない!(T)

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福祉部11 月例会開催11 月7 日にアベノレストラン地下会議室にて10 名の参加により開催された福祉部例会で、各支部担当者による見守りプロジェクトの現状が真剣に討議された。 北支部懇親会のお知らせ 2018年1 月12 日(金)12 時30 分より14 時30 分まで 会場: Nambu-Tei 住所: 209A Baker St., London...

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故園田会員追悼礼拝に寄せて ご子息による追悼文 1932年東京生まれの父、故園田邦夫は、クリスチャンだった祖母の影響で、10代から教会の英語クラスで勉強を始めました。母とはバプティスト教会の聖書クラスで会いました。Wheaton大学(シカゴ市)で哲学と神学を学ぶために21歳で渡米。1年後に渡米した母と結婚しました。1960年にバプティスト教会の牧師になります。 その後、エジンバラ大学で更なる勉学を目指してスコットランドに移住。次いでロンドン南部に居を構えました。同時通訳という新種の職業幕開けと共にこれに参加、遂には世界でも屈指の通訳者に上り詰めました。 今日の追悼礼拝にご参加の皆様は、父が日々続けた説教、病気見舞い、パイプの水漏れからPCの修理に至る、幅広い奉仕活動を通じて、教会で、仕事の場で、英国日本人会の集いで、ご縁を頂いた方々でしょう。家族にとって故人は、慈愛溢れる父であり、献身的に生涯を捧げた夫でありました。 僕たちからみた父は、頭脳明晰、勇猛果敢、忍耐力、想像力などの資質を併せ持つ、人生のモデルでした。どのような難問も粘り強く解決の糸口を探りました。父を必要とする誰にでも惜しみなく救いの手を差し伸べました。 戦前教育を受けた父は大変な倹約家で、一粒のご飯も残さず平らげました。再利用できる可能性を考え、何でも取っておく始末屋でもありました。好きな庭仕事は日が暮れても手を休めず、懐中電灯の薄明かりで作業を続けました。 兄弟にとって思い出深いエピソード • モスクワの街角で、空手の達人のふりをしてスリを撃退した父。 • 寝たきりになった母を献身的に介護し続け、夜中に何度も起こされて、疲れ果てているにもかかわらず、母のおでこに笑顔で「おやすみ」のキスをする父。 デービッドにとっての楽しい思い出: • 孫の幼稚園の「祖父母デー」に参加。散会後に園児たちの送迎バスに乗りこんで、彼らとの時間を楽しんだ父。 • 米国人の妻が初めて父母を訪問した際、「今日のご馳走はお寿司です」とプラスチック製の寿司を出してニヤニヤしていた父。 ケンが鮮明に記憶している出来事 • 物置でこっそり科学実験していたら、どう間違ったのか、もうもうと煙が出はじめた。それを叱るどころか「好奇心が満たされたのだし、死なずに済んでよかったね。」と満足げだった父。実は、何度か死にそうな経験をしたのですが。...

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故タキ子・スチュアード会員の三回忌 去る10月3日、故タキ子スチュアード会員のご遺族、鈴木スエ子さんを日本からお迎えし、墓地管理担当の藤田理事の司会により、佐野会長臨席の下、滝本弁護士その他福祉部員総勢13名が参加して滞りなく執り行われました。各自お線香をお供えしながらお祈りした後、小学唱歌「ふるさと」を合唱。カラオケ会のレギュラー会員であった故タキ子さんを偲んで生前中の思い出話を語りあって終了しました。 午餐会は、Golders GreenのEat東京に場所を移して行われました。領事館から上島領事館員が出席され、全員が着席後、すえ子さんが「今日の三回忌法要は、生涯、心に刻まれる意義深いものでした。」と感謝の言葉を述べられた。 支部活動報告 東支部からのお知らせ 東支部の次回懇親会は2018年1月の予定。会報11月号にて詳細にご案内いたします。 西支部からのお知らせ 次回の懇親会は4月の予定。会報2018年2月号でご案内いたします。 南支部からのお知らせ 8月30日(水)にレストラン「海」で開催されました。南支部懇親会会場の楽しい写真をお楽しみください。 北支部懇親会の報告 日時: 2017年 9月22日(金) 場所: Cocoro レストラン(Marylebone) 担当: グリーブズ、スコット...

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天高く馬肥ゆる秋。秋といえば何といってもサンマ。ということで今月は「目黒のサンマ」というお笑いにお付き合い願いましょう。 時は天下泰平の江戸。家来を引き連れて鷹狩りに出かけた殿様。昼食をとろうとしたら弁当の用意がないことを知ります。「食事を用意してこないとは何事か!」と殿様が怒れば、家来が腹を切らねばならないのが封建の世の習わしです。ぐっと我慢をするところは、家来想いの心優しい殿様です。ちょうどその時、農家で焼くサンマの匂いがプーンと漂ってきます。「あれは何の匂いか。」というご下問に、家来は「恐れながらサンマと申す下魚にございます。」 空腹で耐えられない殿様です。「しからばそれを求めて参れ。」と命じます。 魚と言えば高級な鯛しか食したことのない殿様。「サンマのような下魚を召し上がっていただいたと知れたら、大変なことになります。何卒ご内密に」といいつつ、命令に従って、焼きたてのサンマを農家から譲り受けて殿様の御前に。炭火で焼いただけの素朴な料理とはいえ、脂ののった旬のサンマです(こう書きながら唾をゴクリと飲み込む筆者)。手の込んだ料理しか知らない殿様にとって、それはそれは美味しい初体験でした。 お城に戻った殿様、目黒で食したサンマの味が忘れられません。そこで「サンマを所望」と命じます。これには料理人が困り果ててしまいました。サンマを焼くとたっぷりの脂が出ます。それでは体に悪いと、脂をすっかり抜き、骨がのどに刺さるといけないと、骨を一本一本抜きます。結果はご想像通り、見るも哀れなグチャグチャの姿になり果てました。「こんな形でお出しするのは、料理人の沽券に関わる」と、お椀に入れて蒸してお出だしします。 あの目黒のサンマの味を知ってしまった殿様にとっては、不味くてどうにもならない代物です。「これこのサンマ、いずかたにて仕入れたか?」という殿様の問いに「日本橋魚河岸にてございます。」と家来の返事。殿様は「ああ、だからいかん。サンマは目黒に限る!」。と訳知り顔です。 江戸時代、目黒は内陸部の鷹狩などに適した行楽地でした。魚河岸も知らない世間知らずの殿様を皮肉ったお笑いを一席。お後がよろしいようで。。。

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支部活動報告 西支部懇親会の報告 日時:9月14日(木) 場所:Eat東京(ソーホー)レストラン 担当:山本、竹内 元気溌剌の女性会員の中に、珍しく男性会員2名とゲスト1名が参加。大いに盛り上がりました。 前日ご逝去された園田牧師の冥福を祈って黙頭。その後は、美味しいメニューとおしゃべりを皆で堪能しました。数か月の間隔で開かれる懇親会のせいか、皆さん格別に楽しまれるようです。近況報告の口火を切ったみどりさんが「GPに太りすぎと言われた」とこぼしたことに端を発し、誰もかれもが、「コレステロール。。。血圧。。。」と健康問題をテーマにすることになり、高齢化が一段と現実味を帯びた感じでした。 参加者の声:役に立つお話が聞けてとてもよかった(川副まり枝) 今日は久しぶりに美人達にかこまれて楽しいひと時を過ごしました(関戸) 今日は沢山の美人に囲まれて大満足でした(早乙女) 南支部懇親会の報告 日時 : 8月30日(水) 会場 :レストラン 「海」Twickenham 担当 : 川西、小野...

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ノーモア・ヒロシマ! ノーモア・ナガサキ! 8月6日が今年も巡ってきた。ロンドン北部のビクトリア公園の桜の木の下で、毎年、地元有志が開催するヒロシマ・デーに、JA有志も参加した。大きく育った桜の木は暴風雨で倒れていた。新たに植えられた若木に、平和を象徴する紙製の白鳩が羽ばたいた。参加者は、即席の祭壇を囲んで平和を祈り、核廃絶の日を夢見て歌った。8月は戦争や死について思うことの多い月である。二つの原爆の日と終戦の日。そして、祖先や先達をしのぶお盆が巡ってくる。 シベリア抑留の経験をもつ詩人の石原吉郎氏が、原爆を含む大量殺戮は「名を奪う死」である、と書き残している。「死においてただ数であるとき、それは絶望そのもの。人は死において、ひとりひとりの名を呼ばれなければならないものなのに。」 広島、長崎の被爆による死亡者の総計は72年間で60万人に達するという。 「長崎は今日も雨だった」「雨のオランダ坂」など、長崎を歌う戦後の歌は、みじめな雨と結びつくものが多い。「それは、まぎれもなく原爆の記憶」と、分析する向きもある。真っ青に晴れ渡った広島と長崎の上空で原爆がさく裂したのは、72年前の8月6日と9日。人類が絶対に忘れてはならない、消し去ってはならない殺戮の記憶である。偶然そこに居合せたことで背負わされる過酷な運命は、誰の身にも起こりうる。 「被爆二世にまつわる新聞記事をこっそり読んでいた息子は、もしかしたら、わが身にも、と、被爆を密かに恐れている。だが、被爆一世の母親には、その不安を隠すのだ。」と、原爆の語り部と呼ばれた林京子氏は回想記に残している。戦争とは無縁のはずの孫子までが苦しまねばならない悲劇は、こうして後世に引き継がれる。唯一の被爆国である日本は、原水爆の恐怖のない平和な世界を実現するため、声高に全世界に訴え続ける責任があることを忘れてはならない。 自身も被爆二世の俳優兼シンガーソングライター、福山雅治氏作詞による「クスノキ」に、ノーモア・ヒロシマ!ノーモア・ナガサキ!の悲願を託そう。そして来年は千羽鶴で祭壇を飾ろう。 我が魂はこの土に根差し/決して朽ちずに決して倒れずに/我はこの丘 この丘で生きる/幾百年越え/時代の風に吹かれ/片足鳥居と共に/人々の営みを/歓びを かなしみを/ただ見届けて/我が魂は/奪われはしない/この身折られど この身焼かれども/涼風も爆風も/五月雨も黒い雨も/ただ浴びてただ受けて/ただ空を目指し/我が魂はこの土に根差し/葉音で歌う

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支部活動報告 東支部懇親会報告 7月29日(土)開催の東支部懇親会は、恒例となっているBlackfriarsのHare & Tortoiseで16名の参加で開催されました。最初に5月27日に亡くなられた久我会員に一分間の黙祷を捧げました。メニューからそれぞれがお好みを選んで美味しく頂きました。皆さんの顔が見えるようにテーブルを四角に囲んで一人一人経験談等を話しながら、大変に和やかな雰囲気の中で楽しい懇親会となりました。次回は六か月先の予定です。(田口記) 北支部懇親会のお知らせ 日時: 2017年 9月22日 (金) 12.30pmより14.30 pmまで 会場: Cocoro Japanese Restaurant 住所: 31 Marylebone Lane,...

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2017年7月はじめに九州北部を襲った記録的豪雨は、同地域に甚大な被害をもたらし、深い爪痕を残した。被災者の苦しみ悲しみは察するに余りある。被災地の復旧には、どれほどの財源と人力が要るのだろう。 ノンフィクション作家の柳田邦男氏は、災害、事故、病気その他の悲劇の当事者への対応には「二・五人称」の視点が必要と提唱している。「もし自分が災害や事故にあっていたら」と考えるのは一人称の視点。「もし自分の家族や大切な人が事故にあっていたら」と考えるのは二人称の視点。専門的な知識に基づいて冷静な判断で対応するのが三人称の視点。一人称や二人称の視点だけだと情に流されがち。逆に、三人称の視点だけだと、冷たく突き放した「他人事」の対応が優先する。一人称、二人称の視点と、専門家の冷静沈着な判断を兼ね備えているのが「二・五人称」で、被災者への対応としては妥当で望ましい。氏は「音楽に魂を揺さぶられるような理解の仕方」とか「人間の心に潜む慈悲心や共感と通じる想像力」と表現している。 「二・五人称」の視点は、医療や介護の現場にも適用できる。「病気を診るのでなく病人を見よ」と言われて久しいが、科学技術のめざましい進歩と共に、医療従事者の専門分化が広がった結果、専門知識と技術は極度に高度化し、彼らの視野は狭まりがち。現場では患者や被介護者との時間短縮で効率化をはかろうと、「はい、次の患者さん」とそっけない対応になりがちである。ここにIT技術が加わって、専門化社会共通の問題がさらに強まる。 「一人称」と「二人称」は温かみはあるが、客観性や合理性に欠ける。一方、「三人称」の視点で十分慎重に判断したように見えても、患者や被介護者の側からすれば、様々な見落しや切り捨てが生じている。専門レベルを高める努力を前提にしつつ、弱者である患者や被介護者の立場に立ち、人間に対する興味や人間を見る眼を持った「二・五人称の視点」によるきめ細かな対応が求められる。 障害児が生まれたとき、冷静客観的な「三人称」の視点の医師から「染色体異常のためダウン症児です」と宣告されるだけでは母親は絶望から立ち直れないだろう。これは実話だが、米国でダウン症児を出産した母親が「あなたは、障害児を立派に育てる資格と力があることをご存じの神様から選ばれたのです。思う存分愛情を注いで育ててください。」と祝福されたという。これこそが、人間性を回復させる「二・五人称」の視点であり、今後ますます重要性を増すだろう。(T)